寿寿かけ便り
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令和6年11月3日
NEWS
『「人として」にしがみつけば、それを超える事は出来ない。
人を超える事を、宙は求めている。
何ら恐れる事は無い。
蟻の様な砂糖水を求めるな。
そのしがらみを超えねば、ここから先へは行けぬ。
人が知らぬ事を求める世界に入る。
何もずたずたに切り裂く事は無い、
その足に求める事さえ忘れなければ。
小さな人の性根をいつまでも保つな。
嘗ての巫の様に、今居る場所を守ろうとするな。
それこそが高台に座る事だ。
常に裸足で居ろ。
常に何かを求めよ。
そう教えて来た。
ぬるい時間を作るな。
新しい世界を創る為に、いつも起きていろ。
常に疲れていろ。
そうすればその先が見える。
お前達が一歩進めば、全ては水の様に進む。
止めているのはお前達と知れ。
お前達が事を作る。
待つな。動かせ。
お前達は充分に休んでいる。
何故なら脳を止めているからだ。
そこに気付け。
揺らぐな。一瞬たりとも。』
この神言は、少し疲れていた時の夜、陽巫・公章にぴしゃりと叩き付けられたものです。
緩んでいたのでしょう。
改めて性根を入れ直し、勤めます。
陽巫・公章
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令和6年6月16日
結願、夜明け前5時20分。
海原に手を合わせ、祈願を託しました。
行く先を楽しみに、腹に力を保ち励んで下さい。
努力の上にこそ神風が吹きます。
陽巫・公章
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令和6年6月11日
【護摩行】
仙台港から苫小牧に着いたのは6月1日。
すぐに走り、ひたすら上がる。
指示されたポイントは四箇所、
各々、圧倒される力だった。
天売と阿寒湖では、
いつ陽が沈み昇ったかわからない程、あっという間に刻が流れた。
移動に時間と体力を使い果たし、差し出される瞬間を待つ。
身体はあちこち痛みながら、頭だけは冴え続ける行場だった。
奥尻で手を重ねる所は、柱状節理の垂直な岩肌。
が、その箇所は高い位置に在り、二人でよじ登る必要があった。
凹みに手を押し付けると、一瞬にして吸い込まれた。
傍らには、海面に凛と佇む黒い岩島があり、
それは、何をも寄せ付けない恐ろしい程の気を放っていた。
その気を正面から注がれた凹みに手を添えていた。
メッセージを受けたが、頭が朦朧としていて覚えていない。
神威は、岬の足元に向かい、海水に砂を撒いた。
大きな岩がゴロゴロと転がる。
多分これが濡れていたら滑って大変だったろう。
その日は一日中どこも雨予報で、
「よさこいソーラン祭りの初日が寒い」と、車中のラジオで流れていた。
が、神威の空は、二時間程晴れた。
結願は6月9日。
船の欠航や待ち時間等、何が起きても良い様に走り抜いた北海道。
仙台港に戻ったのは6月7日。
明日は何をするのか、どこに行くのか知らされていなかった。
ピリピリしながら指示を待ったが、
「休めよ。あなた方が思っている以上に身体は疲れている」
9日夕、出航まで一日半、休みを頂いた。
この日は「東北絆祭り」の初日で、
空にはブルーインパルス、
そして見た事の無い大きな日輪が、長い時間キラキラと光ってた。
結願の地は金華山。
飛ばされそうな風と波しぶきを浴び、言葉を頂いた。
「この風を取りに来る者、稀なり。
存分に纏いて使うが良い。
全てを動かす風の力。
七日後に壹岐に立て。」
祈願に追い風を頂戴しました。
必ずや、各々の努力の背中に吹くはずです。
陽巫・公章
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令和6年5月17日
岐阜から始まった祓い浄め行は、滞りなく終える事が出来ました。
三本の錫は、
長野ゼロポイント・新潟妙高・福井九頭竜に埋めよとの指示。
打ち込んだ三つの場所では、其々清々しい風の洗礼を頂戴しましたが、
取り分け九頭竜では、金龍の鱗が大きく弾け、
風と水しぶきでその印を見せつけられ、
全身が痺れるものでした。
途中佐渡へ渡り、
三箇所に水を撒き五行を描き祓い浄め、富山湾へ。
湾では指示された三つの場所に立ち、
能登を望みながら静かに弔いの経を唱えました。
本日早朝、脳に映された場所は富士麓、
轟々と弾ける川の橋。
ようやく見つけここに立ち、
これから向かう先へのガイダンスを受けました。
明日から平常の勤め。
護摩行は29日から始まります。
預かり持った祈願、一つ残らず満願成就。
それこそが寿寿かけの祈願。
陽巫・公章
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令和6年3月31日
【宮古島同行の御報告】
寿寿かけの旅は摩訶不思議。
何故宮古島なのか、
行って初めて知るところでした。
人柱を担って頂いた同行の皆様、
本当にお疲れ様で御座いました。
最後のポイントで宙からキラキラと注がれた光が、
皆様をしっかり御守り下さる事を私は知っています。
無償の愛を持ち寄って下さった事に、深く深く感謝申し上げます。
陽巫・公章