陽巫のこと
-
令和7年12月8日
NEWS
寿寿かけを立ち上げ25年目を迎えました。
来し方を振り返りながら書き示すよう指示を受けましたので、
自動手記の力を頂きながら、ここに書き留めていきたいと思います。
時々お付き合い下さいませ。
①
私が身体に異変を感じ始めたのは、大学を卒業した息子が留学中の事。
漸く自分の先を見つめ、13年間経営した店を譲り、昼の仕事に就こうと考えていた時でした。
親としての責任を終え、商いにもそろそろ飽きていました。
スタッフに小さな店を準備し、一応の建前を立てました。
自分の時間を作り始めた頃、将来を約束していた人からの突然の別れ。
「面倒は見る、心配するな」
その言葉を当てにしていた私は、途方に暮れます。
マンション・国金の支払いだけでも多額で、保証人への責任を考えると、何としてでも払わなければならない。
不安と失望に眠れない日が続いた頃、地方誌の隅に「タロット占い」の広告を見つけ、
何かヒントは無いものかと訪ねてみました。
多分初めて占いというものに縋ったかと思います。
女の先生でとても親身に接してくれ、何度か通う事になります。
「この人を一番弟子にします」と周囲に言い出し、
私は威圧を感じながらもそれに従っていましたが、
「いや、何かが違う」と強く感じ、数ヶ月で縁は切れました。
その先生は不動明王を拝んでいて、「自分には明王の力と守りがある」と言い切っていて、
逆らうと酷い目に合う様なニュアンスでした。
背中にゾッとする悪寒と、強い不信感に耐え切れず、
少しずつ距離を置き、縁切りをされるよう運びましたが、
恐ろしかった。
でも、この縁で得たものが三つあります。
・「神仏」の存在を体感した事。
・自動手記が始まった事。
・何より、こうあってはならない「反面教師」の姿をしっかりと心に刻んだ事です。
毎月の支払いは、着物・貴金属等を売りながら過ごしました。
最後まで身に付け、手離さずにいたカルチェの婚約指輪を処分した時、
私のプライドと未練・執着は、やっと剥ぎ取られる事になります。
「もう無理だ。お金が無い!」
2枚目あたりの督促状が届いた頃は、恐くて電話にも出られず、
派手に振る舞っていた分、外に出て人に会うのも恐かった。
朝、眼を開けるのも辛いどん底の絶体絶命の時、
嘘の様な出来事が起きました。
別れた男性からの復縁の申し出です。
この申し出に声も身体も震えましたが、
それは怒りからのものでした。
会った瞬間、私は彼の胸ぐらを掴み、思いっきりぶん殴り、
「女を舐めんなよ!」と叫びました。
そう叫んだ事でやっと吹っ切れたのだと思います。
先の事も支払いも頭から飛び、心の底からすっきりしたのを覚えています。
②
ここから本当の不思議が始まります。

