陽巫のこと


  • 寿寿かけを立ち上げ25年目を迎えました。
    来し方を振り返りながら書き示すよう指示を受けましたので、
    自動手記の力を頂きながら、ここに書き留めていきたいと思います。
    時々お付き合い下さいませ。


    私が身体に異変を感じ始めたのは、大学を卒業した息子が留学中の事。
    漸く自分の先を見つめ、13年間経営した店を譲り、昼の仕事に就こうと考えていた時でした。
    親としての責任を終え、商いにもそろそろ飽きていました。
    スタッフに小さな店を準備し、一応の建前を立てました。
    自分の時間を作り始めた頃、将来を約束していた人からの突然の別れ。
    「面倒は見る、心配するな」
    その言葉を当てにしていた私は、途方に暮れます。
    マンション・国金の支払いだけでも多額で、保証人への責任を考えると、何としてでも払わなければならない。
    不安と失望に眠れない日が続いた頃、地方誌の隅に「タロット占い」の広告を見つけ、
    何かヒントは無いものかと訪ねてみました。
    多分初めて占いというものに縋ったかと思います。
    女の先生でとても親身に接してくれ、何度か通う事になります。
    「この人を一番弟子にします」と周囲に言い出し、
    私は威圧を感じながらもそれに従っていましたが、
    「いや、何かが違う」と強く感じ、数ヶ月で縁は切れました。
    その先生は不動明王を拝んでいて、「自分には明王の力と守りがある」と言い切っていて、
    逆らうと酷い目に合う様なニュアンスでした。
    背中にゾッとする悪寒と、強い不信感に耐え切れず、
    少しずつ距離を置き、縁切りをされるよう運びましたが、
    恐ろしかった。
    でも、この縁で得たものが三つあります。
    ・「神仏」の存在を体感した事。
    ・自動手記が始まった事。
    ・何より、こうあってはならない「反面教師」の姿をしっかりと心に刻んだ事です。
    毎月の支払いは、着物・貴金属等を売りながら過ごしました。
    最後まで身に付け、手離さずにいたカルチェの婚約指輪を処分した時、
    私のプライドと未練・執着は、やっと剥ぎ取られる事になります。
    「もう無理だ。お金が無い!」
    2枚目あたりの督促状が届いた頃は、恐くて電話にも出られず、
    派手に振る舞っていた分、外に出て人に会うのも恐かった。
    朝、眼を開けるのも辛いどん底の絶体絶命の時、
    嘘の様な出来事が起きました。
    別れた男性からの復縁の申し出です。
    この申し出に声も身体も震えましたが、
    それは怒りからのものでした。
    会った瞬間、私は彼の胸ぐらを掴み、思いっきりぶん殴り、
    「女を舐めんなよ!」と叫びました。
    そう叫んだ事でやっと吹っ切れたのだと思います。
    先の事も支払いも頭から飛び、心の底からすっきりしたのを覚えています。


    ここから本当の不思議が始まります。
    「彼から復縁の申し出があります。それは今月中の事」
    見えざる力で綴られていく自動書記は、こう告げていました。
    「有り得ない」と聞き流していたけれど、
    昨日は8月31日でした。
    その大事な日を、自分の怒りをぶつける事で台無しにしたのです。
    いくら後悔しても立ち上がれないほど私は落ち込みました。
    少し話は逸れますが、私にはプツンと切れる沸点があります。
    それは主に男性から女性に対する酷い扱いの時です。
    過去にこんな事がありました。
    店を終えスタッフを連れて歩いていた時、酔っ払いの男二人がしつこく話し掛けて来ました。
    私達が無視した事に腹を立て、ライターを投げつけたのです。
    女の子は顔を押さえしゃがみ込みました。
    それを見た瞬間、私の沸点到達!
    大きな男でしたが私は怯まず、
    「親から預かった大事な娘さんに何すんじゃ!!」
    胸ぐらを掴み怒鳴りました。
    気が付けば周りにはいつの間にか人だかり、
    「ママ大丈夫? 警察呼ぼか?」の声に男達は逃げ、
    私も正気に戻りました。
    胸の中はまだムカついていましたが、それでもにっこり笑って「大丈夫ですよ」とその場を離れました。
    翌日見たら、着物の片袖が千切れていました。
    「あぁこの話も、また広がってしまうなぁ」と憂鬱でしたが、
    案の定、巷ではもっぱらの噂になっていて、
    お陰様で店の売り上げは上々でした(笑)
    まぁこんな具合の話は幾つも有り、そんな話を聞いて笑っていた彼も、
    まさか自分が同じ目に合うとは、思ってもみなかったと思います。
    失礼、余談でした。
    さて、己の情けなさにどん底の底に落ち、ぼんやりするしかない翌日9月1日、自動書記はこう告げました。
    「貴女を守ります。心配なさいますなや」
    8月31日のお告げがその通りになった事で、
    私は自動書記の書く「知らせ」に意識を集中していきました。
    そして「知らせ」はこの日を境にはっきりとしたものになっていきます。
    朝起きたら先ず神棚の前に座し、ひたすらに指がなぞる文字を追いかけ、会話が始まります。
    「何処に行きなさい」
    「電話をしてこう言いなさい」
    「神棚の前で瞑想しなさい」
    私は全てに従いました。
    『彼から改めて申し出があります。
    「困っている事が有れば何でも言ってくれ」と言われても、その時は「何も無い」と答えなさい。何も心配する事はありません』
    全てその通りに進んで行きました。
    私の心にも生活にも少し余裕が生まれました。
    9月も半ばを過ぎた頃、まさかの出来事が起きました。
    早朝からチャイムが鳴り、何事かとドアを開ければ、四人の男の人が立っていました。
    「国税局です」そう言って中に入って来ました。
    何が起こっているのか整理の仕様も無く黙って見ていると、
    「はい、何も触ってはいけません。電話は掛ける事も出る事もいけません」
    彼等は早朝から夕方まで居座り調べていました。
    これは「知らせ」に無い事でした。


    何を考えてもどうにもならなかった。
    けれどそうは言ってられない。
    頭の中でカラカラと空回りする音が聞こえていました。
    無力でした。
    考えて、疲れて、寝て、
    気付けば朝、気付けば日暮れ。
    コタツに足を突っ込み多分数日(2〜3 日?)
    その有り様を繰り返していたのだと思います。
    が、はっきりとは記憶が有りません。
    彼からは何度か電話があり、
    「どうした? 具合悪いのか? 何かあった?」
    と心配されたけど、私は上の空でした。
    もうどうでも良かった。
    そんな事より、私の怒りは右指が書く「知らせ」に向いていました。
    確かにその通りになっている。
    だから信じ始めていた。
    そしたらこのザマか?
    「一体何なの? 今、国税って何? 何で私なの? バカにしてるの?」
    頭を撫でながら思いっ切り足元を掬われた思いでした。
    「ブチッ!!」と音が聞こえ、何かが弾けました。
    ふらっと神棚の前に立ち、榊や水、盃に盛った米・塩、
    全部思いっ切りぶちまけ、
    落ちた榊を拾い上げて、神棚を叩きながら叫びました。
    「お前誰や⁈ 守るって何⁈ 嘘ばっかりやないか。私のこのザマは何⁈
    何で私にまとわりつくの⁈ 何で勝手に身体を動かす。
    断りも無しに私を動かすな!! お前は嘘狐か!!」
    マンションの上下隣に響く声だったはずです。
    そして 「出て来い。受けて立つ!!」
    と、神棚の前にあぐらをかきました。
    その時です。
    ふわっと、何故だか風が吹いたのです。
    と同時に、物凄い力で私の額は床に押し付けられました。
    あぐらの姿勢のまま身体は二つに折れ重なり、
    押し付けられた額はどうにも持ち上がらず、
    どんなに足掻いてもほどけません。
    逆に息が詰まって苦しくなるだけでした。
    「こいつ、人じゃない・・・」
    私はゾクッとして、同時に無駄な抵抗だと知りました。
    息も絶え絶えに声を絞り出し、
    「すみません。もうしません。ごめんなさい」
    と諦めました。
    すると嘘のようにその力はほどけ、
    額も身体もぺらっと紙のように伸びたのです。
    私の眼は遠くを見ていて、頭の中は惚けていました。
    一体どの位の時間この見えない相手と闘っていたんだろう。
    外はすっかり暗くなっていました。
    ゆっくりと我に返り、散らかした物を拾い、砕けたガラスを片付けながら、
    「病院に行こう」 と思いました。
    「精神科に行き助けてもらおう」 と。
    疲れた。
    何というか、所詮敵わない。
    うるさい蝿がブンブンと羽を鳴らし、大きな壁に向かってへしゃげた様なものだと思った。


    「陽巫のこと」は、陽巫が昔を振り返りながらお喋りしています。
    様々なご相談を受ける中で、いたたまれない、やり場のない現実に翻弄されている方に対し、
    出口を探すお手伝いになるかと思います。今後、一々アップ配信は致しません。
    ご自身と重ねながら興味を持たれた方々が覗いて下されば嬉しいです。
    神事とは、格式ばって向かうのでは無く、日常の中の出会いから始まります。
    決して特別な事ではなく、しかし踏み込む覚悟が必要な世界です。まだほんの序章です。
    今後の展開、神域への誘い、是非覗いてみて下さい。 


    散らかした部屋を片付け、床を拭きながらボタボタ涙が落ちた。
    「私、何やってんだろう。本当に壊れたのかも知れない」
    今度は声を上げて泣いた。
    やっとベッドに這いぐったり寝ました、はずです。
    夜中、遠くから名前を呼ばれ目を覚ましたら、
    天井にふわふわと蛍が飛んでいました。
    柔らかなほんのりとした光がとても綺麗で、ゆっくりと線を引いていました。
    それはやがて輪になり幾重にも広がっていき、天井一杯に大小の輪が描かれ、
    蛍はその小さな輪の中に入っていきました。
    ひときわ光を放つ大きな粒は真ん中に集まり、やがて御顔の様な形を整えました。
    いつの間にか光の絵が出来ていました。
    こんなに光れば相当眩しいはずなのに、
    何故か大きく眼を見開いて見続けていました。
    「これは何だろう?」と。
    「曼荼羅」と教えて下さいました。
    何かが声を出して教えてくれたのか、天井に書かれたのかは覚えていません。
    御顔の周りの小さな輪が動き出しました。
    それは手になり、指になり、
    指は幾つもの形を整えながら静かにゆっくり動きます。
    私はその美しさに、ただぼんやり口を開け見ていましたが、
    御顔の目元から、私の目線は離れませんでした。
    やがて絵の動きが止まり、柔らかな光の粒に戻り、
    私の顔の上にパラパラと落ち始めました。
    真っ直ぐに落ちてくるけど、除けるにも動けず、瞼を閉じる事も出来ず。
    ただ、顔面で受けているのに痛くはありませんでした。
    見た事の無い光景に、
    「これはこの世では無い。死んだ?」
    「良かった、終わった!」
    安心しました。
    寝たのか、死んだのか、何が何だか判らぬまま、
    カーテンの隙間から射し込む外の光で目が覚めました。
    恐る恐る姿見の前に行き、
    自分が映った事で自分が生きている事を知り、
    心の底からガッカリしました。
    顔が痛くて鏡に近付くと、額は紫色に腫れ上がり血が滲んでいました。
    ようやく昨夜を思い出し、同時に思い知りました。
    今日が何日か、何をすべきか。
    この数日間、一日を三日に感じたり、或いはその逆だったり、
    まるで宙に浮いているようでした。
    突然、逃げられるはずの無い現実に連れ戻された気がしました。
    へたっと座り込んだ瞬間、とんでもない力で神棚の前に引っ張られました。
    そして、
    「今日電話が入ります。明日の誘いを受け入れなさい。
    私を信じなさい。必ず貴女を守ります」
    自動書記はそう書き、
    掛かって来た彼からの電話は、正にその通りでした。


    「明日会っても、お金の事は一切口になさいますな」
    自動書記は私にそう釘を刺し、私は頷き従いました。
    しかし会って一緒に居ても上の空で、会話や食事の間中、私の頭の中は支払いの事で一杯でした。
    別れ際、私の腕を掴み、
    「どうした?大丈夫か?」と聞かれました。
    その表情から、本当に心配してくれているのが伝わりました。
    「悪かった」と彼は暫く疎遠にした事に頭を下げました。
    この人にお金の事など言えない。
    でもそうしなければ、この先私はどうにもならない。
    そう思いながら、「大丈夫。少し体調が悪いだけ」と軽く笑ってこの日は別れました。
    「すぐに電話があります。その時こそお金に困っている事を打ち明けなさい」
    書記からはそう知らされていました。
    翌朝掛かって来た電話で、
    「週末会おう。元気が無いから美味しい物食べて元気をつけよう」と誘われ、
    私は「ありがとう」と応えました。
    話さなきゃいけない。前が見えない現状を。
    でもどんな返事が返って来るかは判らない。
    今そんな事を話せば、今度こそ糸はプツンと切れてしまうだろう。
    じゃどうするの?どうなるの?
    頭の中が行ったり来たりしているのは、嫌われたく無かったからです。
    書記は静かに私を導きました。
    「貴女を守ります。私を信じなさい。
    夜中に映した曼荼羅は、貴女と重なりました。
    何も心配する事はありません」
    私はこの言葉こそを心の真ん中に置きました。
    瞼を閉じると光の絵が浮かび、半開きの穏やかな眼が私を見つめました。
    「何て幸せなんだろう」そう感じる自分が不思議でした。
    土曜日、彼が迎えに来て「買い物に行こう」と言いました。
    「今欲しい物は無い」と答えると、
    「じゃあ気分転換にドライブして食事しよう」
    彼は私にとても気を遣っていました。
    ドライブの途中「実は…」と切り出したのは彼の方でした。
    政治に誘われ身辺整理をする必要があり連絡を絶った事、
    しかし自分には敵が多いし興味も消えたと話し、
    改めて「ちゃんと形を整えるから元に戻りたい」と再び頭を下げました。
    「分かった」と答えたものの、心はざわついていました。
    全部を手に入れる事は出来ない。一番大切なものは何だろう。
    でも話さないと。でも今日は言えない。
    心と頭が離れてグルグル回りました。
    瞼を閉じ曼荼羅を見つめ心を落ち着かせたいと思い、トイレに行きました。
    「今日話しなさい。貴女を守る。私を信じよ」
    あの言葉を繰り返しながら、気が付けば家まであと5〜6分位でした。
    いきなり何かに背中をポンと押され「相談があるの」と勝手に声が出ました。
    国税が入った事、他にも支払いが滞っている事等、全てを打ち明けました。
    彼は車を停めて聞いてくれました。


    「分かった。俺に任せろ」
    まさかの返事に心底驚きました。
    「政治への声が掛かった時、身辺調査をされている事は気付いていたが、
    お前にとばっちりが行くとは思わなかった。
    国税が入ったのは、他からの通報に間違いないだろう」
    そして、
    「すぐに会社名口座を開きなさい、そこに必要な分を振り込む」彼はそう言いました。
    まだ半信半疑でしたが、月曜日朝9時、銀行に行き言われた通りにすると、
    午後にはまとまったお金が振り込まれていました。
    全額を引き出し、車に戻り、暫くは放心状態でした。
    全身の力が抜け、運転も出来ない有り様だった事を覚えています。
    翌日、滞っていたものを片付け、やっと落ち着き、日常が戻りました。

    振り返れば、ここまで本当にたくさんの不思議が有りました。
    リースの店から始めた商売ですが、一年未満で権利譲渡の店舗を買いました。
    譲渡金600万円、不動産手数料、引越し迄の一カ月分の給料、改装費、これらを含めば1000万円必要でした。
    母の保証人で銀行に申し込むも、担保無しでは無理でした。
    別居中の息子の父親にも担保の相談をしましたが、
    銀行は「県外の物件では担保は無理だ」とけんもほろろでした。
    やっぱり無理だなぁ、高望みだわと自分を戒め諦めかけた時です。
    とんでもない申し出が有りました。
    64〜5才の小柄な社長さんはよくこう言ってました。
    「夜のお店のママさんは、キラキラした部屋に住み、昼まで寝て夕方化粧して出勤するものだと思っていたが、
    貴女は朝早くから御礼の葉書を書いて、昼間は菓子折り持って営業に動き、
    子供の勉強机が無ければまるで事務所の様な部屋だ」
    その社長さんは、教師〜校長〜宅建資格取得〜工務店経営者という変わった経緯をお持ちの方で、
    私が買った古い古い中古マンションの改装に入って下さった工務店さんでした。
    お酒は一滴も飲めず、雰囲気が好きだからと、
    社員さんとの打ち上げに使ってくれたり、時々一人でフラッと寄って下さいました。
    マンションの改装は一週間位の短いものでしたが、
    いつも私が早起きして事務仕事をしている様子を見て「感心だ」と褒めてくれ、一度頭を撫でて下さった事も有り、
    私は、お父さんと呼んでいました。
    そのお父さん社長に、欲しかったけど諦めた店の事を話すと、
    「一度見てみたい」と言い出し、
    連れて行くと「本当だねー。良い店だ!」と同じ意見でした。
    それから2〜3日後だったと思います。
    お父さん社長から電話が有り、
    「実印を持って◯◯銀行に来なさい」との事。
    「どうしたんですか?何ですか?」と聞いても、
    「いいからすぐ来なさい」と電話を切られました。
    とにかくすぐ着替え、車を走らせました。


    言われた通り、とにかく急いで銀行に行くと、支店長室に案内されました。
    GパンとTシャツだったので躊躇いながら入ると、お父さん社長がニコニコして座っていました。
    隣に居る険しい顔の方が支店長でしょう。
    「まあ座りなさい」お父さん社長に促され腰掛けると、
    いきなり支店長が私を見据えてこう言いました。
    「ママさん、経験も浅いのに大きな店をやりたいとか?」
    私は急な話の切り出しにとても狼狽えましたが、社長が割って入りました。
    「この支店長は私の教え子で、今は立派な銀行の支店長でね。私は借金は無いが幾つか定期預金を預けている。
    あの店は良い店だ。頑張っている人だから応援したくなった。
    必要なのは一千万だったね?」
    私は頭の中がパニックでした。
    突然ここに呼ばれてそんな話をされても・・・支店長はさっきから睨み付けているし。
    何と答えれば良いのかと動揺していると、
    「一千万で良いんだね?」ともう一度聞かれ「はい」
    緊張と驚きで心臓の音がドクンドクンと高鳴りました。
    支店長がお父さん社長に向いて座り直し「先生、失礼ながら、こんな何処の馬の骨とも知れない女の人に、
    御自分の定期を担保に入れてまでとは、先生らしくもない。考え直して下さい」
    社長は少し声を荒げて、
    「私の金を私が楽しい事に使う。お前の金じゃないだろう」
    と言いニヤッと笑いました。
    「実印は持って来た?保証人にはお母さんになって貰うよ」
    と私に念を押した上で、全ての段取りをその場で済ませるおつもりの様でした。
    定期担保の書類、借用書等に書き込んでいる時にも、
    「お母さんに頼みなさい。私も一緒に行き話すからね」と私を急かせるので、
    私は手が震え記入がとても下手な字になってしまいました。
    それを見た支店長は、呆れ顔で大きな溜め息をついていました。
    「よし、じゃ今からお母さんの所へ行きましょう。
    説明しないとびっくりなさるだろうからね」
    社長に言われ席を立とうとすると、
    「返済計画を立てて下さい。まだ何も聞いていません」
    支店長が慌てて引き止めました。
    すると社長は「それをこれから相談するんだ」と言い、一緒に銀行を出ました。
    各々車があるので、母の店の前の駐車場で待ち合わせた時、
    「支店長は私を心配して失礼な事を言ったが、私は全く心配していない。頑張りなさい」
    そう言い、私の肩をポンポンと叩き笑っていました。

    さて母の前に座っても何から話せば良いのか判りません。
    保証人を頼む前に銀行での一部始終を話さなければ。それが先です。
    しかし何と、口を切ったのは社長でした。
    「いやぁ、良い店があってねぇ〜
    家賃は今の半分、店内は品の良い内装で三倍広い。
    この人ならやるだろう。それを見たくて応援する事にしたんですよ。
    身内の保証人が必要なんで、良いですか」
    と全部、話をつけてくれました。
    母は何度か聞き返していましたが、少しづつ理解した後、目を丸くし、お茶をこぼしました。
    母は私に「社長には、一生足を向けて寝る事は出来ないよ」と言い、
    二人で並んで深々と頭を下げました。
    「息子さんもお金が掛かる時期だ。返済は急がなくて良い。無理なく返し終える様に」
    そう言って社長は帰られました。
    翌日、必要な物を整え銀行に行くと、迷惑そうな顔をした支店長から又言われました。
    「こんな事は始めてです。何処の馬の骨とも判らん人に、先生も全く物好きな」
    心底カチン!!ときました。
    腹を据えて掛からねばならない。
    とにかくお父さん社長の肩の荷を早く下ろさねば。
    「何処の馬の骨」この言葉を身体にしっかり刻み込みました。
    五年の返済計画でしたが、私は三年で終わらせる覚悟でした。
    店のオープンと同時に月二十万の定期を作り、
    息子の事、店の事以外には一切贅沢はせず、
    貯めた定期分と毎月の支払いで、一年で半分返済。
    お父さん社長も同席の上で残金五百万の返済契約書を三年に書き換えましたが、
    これを二年で完済。
    大変でしたが、やれば出来る自分を褒めました。
    お父さん社長は支店長に向かって満面の笑みで言いました。
    「支店長、一度飲みに行こうかね。私の自慢の教え子の店に」
    信じて下さったお父さん社長への責任を果たした私は、力が抜けた感じでした。
    何となく気力が失せ、暫くはクラゲの様にふわふわしていました。
    この後、気合いが抜けた私は、大きな失敗をします。


    「陽巫のこと」の読者さんから言われました。
    「先生って凄い人生です。私なんか比べものになりません」
    いいえ、それは違います。どなたも必死で生きています。
    各々が自分という人生の主役で、闘い続け守っています。
    敵は、人・金・力・病・・・いずれも強敵で、気を抜く暇無く闘っています。
    人は人生を生き抜いています。
    数年前、息子が脳内出血で倒れ入院した時、私は一年間病院に通いました。
    その時、様々な親子と関わりました。
    重度の障害を持つ少女がいました。
    腰にはコルセット、両脚に装具、瞳はうつろです。
    きっとこの先も状況は変わらないだろう我が子を生涯守り抜く親御さんの心を見つめながら、
    私など足りぬ者だとつくづく思い知りました。
    同時に、この先自分に何が出来るか、心に火が付きました。
    息子が倒れた事を知った友人が、
    「何で先生の息子さんですか?こんなに人に尽くしているのに」と憤っていました。
    いいえ、人は皆平等です。誰も特別ではありません。
    「命は取り留めましたが一生車椅子です」と言われた息子は、
    立ち上がり、歩き、勤めています。
    必死の努力と不屈の精神を息子に教わりました。
    もし私ならここまでやれただろうか?
    息子を心から尊敬しています。
    「生きる事こそ修行なり」
    高名な僧侶から頂いたお言葉で、私の心のど真ん中に刻んでいます。
    今、目の前にある辛い時間は、長い人生のほんの一頁。
    これを片付ければその先の扉が開く!と頑張る。
    新たな扉の先にはもっと辛い事も有るでしょう、がそれは人の成長の量りです。
    泣いて笑って噛み締めて生きましょう。
    人生はドラマ。誰もが主役で、代役は存在しません。
    私にも宙との約束がまだ一つ残っています。
    だから今も必死です。


    三年の返済計画は必死でした。
    当時、私には大きく支えて下さった方が居ました。
    自宅近所の美容室は、夜の社交場のママさん達多くの行きつけで、私もよく通っていました。
    その先生に、私が大きな店舗に移る事を伝えると、改装中にひょっこり覗きに来て下さいました。
    先生は店内を見回してこう言いました。
    「ママ、毎日和服で出勤しなさい。着物は私が持っているから」
    三年完済はこの一言で叶ったようなものです。
    先生は着付けをしながら、髪を結いながら、先輩ママさん方とのルールや禁止用語、
    着物での立ち居振る舞い、裾の捌き方まであらゆる事を教育して下さいました。
    先生はいつも優しく、時に本気で叱ってくれ、私には実の母より母でした。
    お父さん社長に独り立ちさせて貰い、お母さん先生に教育され、
    本当にお陰様あっての今だと常に感謝、「出しゃばらず謙虚に」を心掛けました。
    さて、やっと指輪を一つ、着物を一枚、と身嗜みを整えてゆくと、借り物とは違う重みを感じ、自信も付いて来ます。
    ママとして経営者として、少しづつ貫禄も付いてきたのか、お誘い事や頼まれ事が増えて来ました。
    が、こんなに緩い日々に気持ちは揺れていました。
    無我夢中だった三年間が恋しくなったのです。
    「そうか!借金が無いから心が浮いているんだ!借金は原動力なのか!」
    丁度その頃、頼まれ事が有りました。
    「娘が店を始めて三〜四ヶ月だが、借金が増えるだけでもう無理なようだ。力になって欲しい」との事。
    浮いていた私は二つ返事で引き受けました。
    暫く様子を見ながらも「一度勉強し直しなさい」と閉める事を勧め、
    その店は私が買い取る事にしました。
    「独立したい」と言っていた女の子にこの話をすると、
    大喜びで「自分に任せて欲しい」と申し出たので、
    私は出来る限りのバックアップをする事にしました。
    店内を小綺麗に改装した上で、全ての費用を三〜五年に分割。
    その時に譲渡の相談に応じるという契約書を交わしました。
    私には随分と危険が伴う内容でしたが、お父さん社長から教わった信頼を引き継ぎ、私も信じる事にしました。
    この様な店舗を二つ持ち、それも無難に過ぎていった十年目、
    お客様への感謝を込めた十周年記念パーティーを開催しました。
    会場はホテルのプールサイド。
    ジャズバンド、ダンサー、他催し物も盛り込み、8000円のパーティー券300枚完売。
    最後の御挨拶の頃には数人の友人達がプールに飛び込み盛り上げてくれました。
    その後暫くはパーティーの噂話を聞いた新しいお客様で、お店は又活気を取り戻しました。
    余程楽しかったのかお客様からは「次は何するの?」と聞かれましたが、
    私は枯れ果ててもうぺらぺらになっていました。


    脱力から気を取り戻し、なんとかやり越しながら間も無く十二年目を迎えようとしていた頃、
    気になる男性客が来店。
    身のこなしやお付き合いの広さから社会的な立場も窺え、
    来店を重ねるごとに安心出来る人だと知ります。
    お酒に酔うと何を言ってるのか解らないアホな所も見え、
    そのギャップが面白い人でした。
    何度か食事に誘われお付き合いが始まり、
    数ヶ月後に「将来を考えている」と言われ、私も息子に紹介するまでになります。
    そして私は十二周年パーティーでけじめをつける事を決意。
    少しづつ現役から退く準備を始めます。
    15坪程の物件を見つけ、ここをスタッフの為の店とし内装にもこだわりました。
    跡継ぎのママを教育し、本店移転の案内を出し、
    長く守ってきた広い店舗は売りに出しました。
    直ぐに買い手は付くだろうと高を括っていました。
    だからそれを当てにして、新店の内装にはこだわりを詰め込みました。
    店の看板を守りたかったのでしょう。
    「スタッフの為に」と周囲には格好を付けていましたが、
    後でそれは見栄だったのだと気付きます。
    売りに出した店は広過ぎて中々売れず、売り値を半分近く下げてやっと片付きました。
    新店は出足こそ順調でしたが長くは続かず、
    三ヶ月もすると売り上げは落ち、私は退くに退けなくなりました。
    立て直す為に一度初心に戻り、朝はおハガキ、昼は営業に走りながら、
    どれだけ自分が怠慢で横着だったか知りました。
    少し上向きになりかけた頃に彼の疎遠、そして国税でした。
    どうやって立っていたか思い出せません。
    心が空っぽだったからこそタロット占いに縋りました。
    自動書記・神仏の存在に導かれなければどうなっていたのでしょう?
    彼の復縁の申し出は神仏からお手配頂いたものだとしか説明のしようがなく、
    救いの手を差し伸べられ、一つ一つ書記の指示に従って行いました。
    持っていたリース店舗は二つとも売却、
    彼からの援助で肩の荷もだいぶ楽になりました。
    そんなある日、強い力で神棚の前に引っ張られました。
    「電話が入ります。こう言いなさい。『お墓参り?』と」
    直ぐに電話があり、雑談の途中「お墓参り?」と言うと彼はこう答えました。
    「何で分かるんだ。気持ち悪いな。見てるのか?」
    不快さを表した彼の口調に私はびっくりしました。
    え?どういう事?
    戸惑いながらも何とか誤魔化しましたが、意味が解りませんでした。
    神棚の前でこれを問うと、
    「私は貴女を必ず守ります。彼に『自分に起きている現象』を話しなさい。
    何も恐れる事は無い。私が居ます。我が名はウズメ」
    え?何で?気持ち悪いって言っていた。そりゃそうだろう。何?だいたいウズメって何?
    本屋に行くと右手が勝手に動き、必要な本を引っ張り出してくれました。
    「神道の本」でした。


    神道という世界を初めて知りました。
    私が生きている人の道では無く、浮き出た世界の様に思えました。
    素直に手を合わせる御参りでは「どうぞ私が道を外しません様に」と祈ります。
    それで良いのか知りませんが、願い事をする場所では無いと思っていました。
    神社には神様がいらして心の中を見透かされると思っていたので、
    「私は間違っていませんか?」そう自分に問い掛ける場所、神様に見つめて頂く所だと思っていました。
    神道の本の中で「ウズメ」の名を見つけました。
    それでなのか、突然 書記との会話はより深く難しくなっていきます。
    翌朝、神棚の前に座るとこう言われます。
    「私の言葉を第一としなさい。彼が来たら必ず話しなさい」
    週末はゴルフの約束で彼が迎えに来る事になっていました。
    「少し早めに来て欲しい」と頼み、
    私は恐る恐る自分の身に起きている事を話しました。
    「俺が背を向けたショックで起きた事だろう。もう心配するな」と私の話を受け止めました。が、
    「そういう現象は長い医者経験の中で知っている。先ずそれを片付けよう。
    頭の数ヶ所にブロック注射を打ち、無駄に開いたセンスを閉じる方法がある。
    暫くボンヤリするが直ぐ落ち着く。
    心配するな。俺が一生面倒見る」
    これは医者として本気の判断でした。
    私の中で何かが弾けました。
    何故だか判りません。
    腹が立って感情を抑える事が出来ません。
    しかし静かに言いました。
    「この見えない力に蓋をして、見なかった事にして一生をボンヤリ生きるの?
    私は鳥籠に入って貴方が餌を運んでくれるの?
    私は鳥籠に入らない。
    自分に起きている事を、それが何者なのかを見届けないと一生後悔する。
    今ここで別れよう。鍵を返して頂戴!」
    私自身、自分の口から出る言葉に驚きましたが、
    ゴルフの迎えに来て一緒に出掛けるはずが鍵を置いて一人で部屋を出る事になるなんて、
    彼には「なんて日だ!!」だったでしょうね。
    私が頑として動かないので、彼はとりあえず部屋を出ました。
    その後、何度も何度も電話をくれたり、チャイムを鳴らしたり、友人を介して説得されたり・・・
    が、私は一切聞き入れませんでした。
    何故あんなに頑なだったのか、曖昧に流せなかったのか?
    私はウズメを知りました。
    あの時の怒りはウズメの道案内だったのです。
    だってたかが30分の会話で決めたのですから。
    別れの翌日、私は不動産屋に行き、
    見栄の塊で作った最後の店を売りに出しました。
    条件の良い物件だったので早々に買い手は付き、
    その全ては国金の支払いに充てました。
    ここで大きな支払いが一つ片付きました。
    が、直ぐにでも働かなくてはなりません。
    それでも毎月の支払いはまだ30万近く有り、
    店を失くした今、収入の当ては一つも有りませんでした。
    神棚の前に座りどんなお言葉を掛けて頂いても、そこからお金は落ちて来ません。
    不安に押し潰される中、それは正に降って湧いた様な話でした。
    長いお付き合いの常連のお客様です。
    「貸金の形にレストランを引き取ったが任せる人が居ない。やってくれないか?
    給料は毎月いくら必要ですか?」
    私は迷わず現状の支払い額、生活に必要な金額を伝えました。
    それはウズメから聞いていた事でしたから。
    「ウ〜ン」と考え込んだ上で条件を出されました。
    「一年で貸した金が戻れば良い。自信は有りますか?」の返事に、
    「はい。やらせて下さい」
    一年間、ただ売り上げを伸ばす事。
    頂く給料の倍は利益を上げなければなりません。
    必死でした。
    この助け舟を沈める事は、私自身が許しませんでした。
    一年間、ひたすら働き、ひたすら返済し、
    勤め終えた時には、借金は自宅マンションのローンだけになりました。
    この一年、小銭しか持ってなかった。
    休日の御飯は、心配してくれる友人が、まるで当番の様に食べさせてくれました。
    この友には心から、心から感謝しています。


    唯一、私が全てを打ち明けていたその友は十周年パーティーに来られたゲストの一人でした。
    それ以降よく御来店され、私と馬が合いよく一緒に遊びました。
    ワインとバーガーをカートに積んでゴルフしたり、週に一、二度は食事して同伴出勤したり、
    社長なのに、ボンヤリした風体なのに、とても頭が良く何でも知っている人です。
    この頃私は神棚の声から「ウズメ」と呼ばれ、
    その声の主は「我が名はサクヤ」と名乗られました。
    「私と繋がる時は、頭を空にし無になりなさい。
    さもなくば正しい案内が出来ません」
    やがて書記は、指先がなぞる文字ではなく、ペンを持ち紙に書き記す様になります。
    初めはミミズが這った様な何だか解らないものでしたが、やがて読める形に整っていきました。
    毎日毎日書き続けました。
    朝から晩まで通す事もありました。
    象形文字?ハングル?の形を延々と書き続けた事もあります。
    「無になられよ」頭の中で声がそう言い、ペンはただ書き続けます。
    吐き気がして頭が割れそうでしたが、
    トイレと水だけには腰が立ちました。
    ある時、それは半紙程のサイズで三枚、私の字では無く、丸い柔らかい字でした。
    「宇宙とエナジー・・・」から始まる長い長いメッセージは私一人では理解は難しく、
    何よりこれから入っていく世界が恐ろしくなっていました。
    信頼出来る友はこれを読んで何と言うだろうか?
    滅多に家には人を入れませんが、こればかりは喫茶店でコーヒー飲みながらの話ではありません。
    友は直ぐに来てくれました。
    ややこしい説明は要りません。
    「これ読んでくれる」で通用する程、私は友に打ち明けていましたから。
    「へ〜」と読み始めたものの、何度も読み直すと最後には真面目な顔になっていました。
    「本当に魂ってあるんだ〜」「宙ってこうなっているのか!」
    博識な友も驚いていました。
    何故かこの時、私は急に正座に直し、友を見つめます。
    友も何かを察したのか姿勢を正します。
    私の声がいきなり話し始めました。
    「何も心配要りません。この御方は守られています。
    完全なる媒体が必要なのです。
    この御方の魂は、はっきりそれを受け止めました」
    友は一瞬たりとも私の顔から目を逸らしませんでした。
    全身から力が抜けた時、友が言いました。
    「今、お前さんの顔が丸顔の知らない人の顔だった」
    私は「サクヤ様です」と静かに答えました。
    友はいっとき考えていましたが、
    「本当は心配していた、が今それは消えた。
    お前さんは本当に守られていると思う。
    俺なんかの出る幕は無いと思った」
    この言葉は強く私の背中を押し、
    私はこの船に乗る決心をしました。
    「これを生業とせよ。全ては書記に委ねれば良い」


    「ゆかしく・ゆゆしく・りりしく」
    船出に頂いたお言葉です。
    「日々の暮らしは常にゆかしく、
    勤めには臆する事無くゆゆしく向かい、
    その姿 常に凛と立つべし。
    そそり立ち見下す事ならず。
    暗闇に明かりを灯す先達となられよ。
    勤めに頂く感謝の言葉を米と頂戴すれば『何様』になる事も無し。
    決して金の座布団に座るなや」
    何と素晴らしいお言葉でしょう。涙が出ました。
    この教え有ればこそ、この選択に間違いは無いと確信したのです。
    この頃、世の中には占い師と霊能者がブームで毎日のようにTVに出まくっていて、
    その姿はきらびやかで派手な世界でした。
    だから指が動こうが身体が反応しようが、声が勝手に経を唱えようが、否定していたのです。
    「ゆかしく・ゆゆしく・りりしく」この言葉に強く心を動かされました。
    見えない存在は私を呼んだのです。
    「汝、これを生業とせよ」と。

    毎日毎日夢を見ました。
    誰かが唄ってます。
    🎵一つ拾うては天に上げ光の川に浄めたり〜二つ拾うては〜♬
    天井でゆらゆらと曼荼羅が動きます。
    何かが静かに始まったのだと思いました。


    中古でも住宅ローンは後4〜5年残っており、
    いっそのこと売って六畳一間に引っ越そうかと考えていた時、銀行から呼び出しが有りました。
    「こりゃ差し押さえかも・・・」
    青ざめて行くと「何かあったのですか?相談に乗りますよ」との申し出。
    びっくりしました。
    毎月の返済を無理のない金額に切り替えて貰えたのは本当に有り難かった。
    返済期間は長くなるけど、友人への借金等は一切無かったので、これが最後の借金です。
    「救いの神って本当にいるんだ」と思ったのは可笑しな話です。
    この頃、何となく小さな噂は広まり、
    どこからとも無くご相談の申し入れを受ける様になっていきます。
    これが口コミというものなのでしょう。
    人伝てに親戚、他県に住む友人、と細い糸が繋がり、やがて相談所が作られていきます。
    その大きなきっかけとなったのは・・・

    一日中自動書記と向き合い、頭の中では常に指示を受け、
    夢の中では唄を聞かされボンヤリと曼荼羅を見つめていた時の事、
    「今日は外に出なさい」と言われました。
    車に乗り、当ても無く走っていると「右へ、左へ」と首を振られ方向を示されます。
    指示に従って行くと、そこは店の営業でたまにお邪魔していた会社でした。
    「何でここに来たんだろう?」
    店は全て処分した後だったので入りにくく動けずに居ると、
    背中をグイッと押されドアを開けました。
    社長が居て「あれ?ママどうしたの?」
    少し世間話をして、声が詰まって沈黙が続いた時、やっと覚悟を決めました。
    膝に置いた指は絶えず動き、書いています。
    社長は不思議そうにそれをチラチラ見ながら、私が何しに来たか、何を言い出すのかを待っていました。
    「変な事を言うんだけど、本当に変な事なんだけど、
    その棚に置いてある大黒様が『あっちに場所を変えろ』と言ってます」
    私は手も背中も汗でビッショリでした。
    ママは落ちぶれて何かに取り憑かれたのか?頭がどっかにイッちゃったのか?としか思わないだろう。
    これはまた巷の面白い話で広がるだろうなぁ、と私がため息をつく前に、社長の反応は全く意外なものでした。
    「ママはそんな事が分かる人だったの?どこ?大黒様、何て言ってる?」とすぐ大黒様を動かしたのです。
    聞けばそれは亡きお父様からの品で、社長は不思議を信じる方でした。
    書記はこうなぞります。「この御方を守りなさい」
    この御方との関わりはここから始まり、
    私は事業を通して「欲とは我欲のみならず。正しく欲する形もあり、それが人を豊かに大きくするのだ」と教わります。
    さてこの社長、私より10程若く、中々に機転の利く御方。
    誠実に勤めるのでは無く、一攫千金の野望家です。
    だからこそ成り立ってきたのでしょうが、常に勝負を懸けているので、私の神経も相当すり減りました。
    しかしやがて事業は上向きに転じます。

    ある日、カレンダーを二枚めくり、右手が赤ペンで大きく❌と書きました。
    これ何だろう?
    立っても座ってもそれが気になりそこから目線が離れません。
    さっぱり判らなかったので博識の友に聞いてみると、友は笑いながら言いました。
    「そりゃ遍路にでも呼ばれたんじゃないか?歩き遍路なら二ヶ月掛かるっていうぞ〜」
    「へ?遍路って何?」
    本屋に走り、買いました。
    ついでに仏教の本も手に待たされました。
    え?二ヶ月歩くの?ムリ!!
    翌朝からひたすら河川敷を歩き回りました。
    多分熱中症になり、玄関先で気を失った事もありました。
    何しろスニーカーを持っていなかったので、手に入れる事から始まる準備でしたから、
    体力なんてあるはずもない!
    ❌印は5月半から6月。
    この時4月。ひと月の間、時間の限り歩きました。

    「二ヶ月遍路に出ます」と言えば、御相談の方々から祈願書と御礼・餞別を渡されました。
    一々神棚の前に座り、受け取っていいものかと尋ねれば、
    「全ては覚悟の事。遠慮なく頂戴し、ゆゆしく勤めよ」
    背負う役目で肩が潰れそうでした。
    「ただ学ぶ時です。我と歩めや。大いに語ろうぞ」
    白装束は、大祈願を託した社長が準備してくれ、道中支援も買って出てくれました。
    安堵で胸を撫で下ろしましたが、だからこそ一円たりとも無駄には使えません。
    皆様に見送られ出発。
    全く雨の降らない空梅雨のお四国でした。


    二ヶ月の歩き遍路となればどれ程の荷物を持てば良いのか想像もつかないし、
    リュックなど遠足でしか持った事が無い。
    十日分を詰め背負ってみるとまぁ重たいのなんの!
    これを背負って歩くのかと、行く前から心折れそうでしたが、
    祈願書が覚悟を決めさせました。
    一ヶ寺、一ヶ寺、祈願書を両手に挟み経に託します。
    歩き始めて、案の定重さに耐え切れず、
    リュックは半分サイズ、着替えは三日分に減らしました。
    靴はあっという間にすり減り半月で二足潰し、
    三足目はさすがに上等を買い、足マメの潰し方を覚えた頃、
    爪は三枚目が剥がれました。
    最初の「遍路転がし」焼山寺道は登る下るの第一難所。
    水切れで気を失い、這いながら登り、閉門ギリギリに倒れ込んだ寺門で、
    途中出会ったお坊さんが助けてくれ、御朱印に間に合いました。
    今思えば熱中症だったのでしょう。ペットボトル三本飲み干しました。
    寺から一時間ほど山道を下りやっと今日の宿。
    食堂では道中の顔見知りと互いを労いましたが、ふと気付けばあるご夫婦が居ません。
    病気で片麻痺になったご主人を介助しながら何年掛かってもこの御朱印帳を完成させたいと、
    月に二、三日の計画でお四国を歩かれているご夫婦です。
    お二人が宿に着いたのは夕陽が山に沈んで間も無くの頃。
    宿では皆窓側に座り、今か今かと外を見つめていました。
    渡橋の向こうにうっすらと姿が見えた時、宿の食堂は安堵の声と拍手で一斉に盛り上がりました。
    これをご縁と呼ぶなら神様仏様とは・・・言い表せません。
    だって何故だか翌日の朝から、ご夫婦、お坊さん、私の四人は連れ立って歩く様になりましたから。
    何とは無しに人生を語り、追ったり追われたりの山道、田んぼ道。
    あっという間に二日が過ぎご夫婦とのお別れの時、
    奥さんがチラッと私を見て、お坊さんに言いました。
    「僧侶、この人を頼むわ。一人ではたどり着かん。一緒に歩いてやってくれんかね」
    ご主人も同様に「ほんまこの人方向音痴やからどこ行くか分からん。頼むわ」
    私はびっくりしました。
    自分が心配されていた事も、方向音痴な事も全く知りませんでした。唖然!!
    ここからお坊さんとの二人歩き、
    いや、お大師様との同行三人が始まりました。
    聞けば高野山のお寺で若くから修行し、執事まで務めていたそうで、
    覚悟を決めての歩き遍路だと言います。
    息子と同い年というだけで、私はまるで親子で旅をしている様に感じました。
    毎日、祈願書を背負ってただただ歩く遍路道、気付けば足元しか見ていません。
    「人生とは遍路なり」 そうだ!心を放とう!と思いました。
    「私の人生は常に前を見て来た。でも今、足元しか見ていない。
    景色を見て目を癒し、
    時には美味しい名物でも食べて疲れを癒そうじゃないか!」
    その夜はお坊さんを誘い居酒屋で乾杯しました。
    翌日から減り張りが出来、心に余裕も出ました。
    海、山から力を頂き、木陰に風を授かり、
    道行く人と言葉を交わし、ご接待を受ければ感謝感激。
    人とは心の持ち方で、苦も楽しめるものだと学びました。
    どんなに苦しくても、それは長い人生の一コマ。
    心の持ちようでまだまだ頑張れる。
    そんなある日の夜中、誰かに呼ばれ目を覚ますと、
    観音様が浮かび上がりました。
    「先を急ぎます。添われよ」
    「◯番寺に急がれよ」
    と明け方まで耳元で囁かれるので、それをお坊さんに伝えると驚いて、
    一番早く行ける方法を調べてくれました。
    直ぐ支度をしてバス停に向かえば一時間待ち。
    仕方なく待っていると一台の車が停まり、
    「歩き遍路さんに声を掛けては失礼なんですが、乗りませんか?」
    正に渡りに船とばかりに、事情を説明して甘えさせて頂くと、
    何とそのお方は、ご自分の予定を変更して半日以上私達にお付き合い下さいました。
    「摩訶不思議」とは誠に有るもの。
    その後もこういう事は幾度か重なり、
    枕元に立たれたり夢に御神示を受ければ、必ず、翌日不思議が起きました。
    山という山は全て歩きましたが、長い車道には助っ人が現れる、見事なまでのお手配。
    これにはお坊さんと二人、目を合わせて驚きました。
    お四国で「御神仏」の存在をまざまざと見ました。
    人を見つめ己を知る。人生の宝となるお四国でした。
    さて「八十八番」で結願の後、お坊さんとは一旦別れます。
    高野山のお宿を取って貰い、そこで再会の約束をしました。
    お宿はお坊さんが執事を務めていた宿坊で、
    ここで私は運命の出会いをする事になります。